以前、85年の11月の時点で尾崎の86年の予定はまったくの白紙であったということには触れた。
その当時には映画製作、新小説の執筆などが囁かれていたが具体的に明確な活動予定が提示されたことはなく、尾崎は沈黙するように無期限の活動休止をしてしまう。
これからレコード会社を設立しようとするマザーにとって稼ぎ頭である尾崎を休止させるようにしては
儲からないのでは?
と考えてしまうかもしれない。
しかし尾崎は84年から86年の元旦までこなしたコンサートツアーは期間や規模の大小関係なく4回。
その公演数は約100本ということなるが、それでも尾崎が出したレコードでの収益とコンサートの収益を比べてしまうとレコードの売り上げがコンサートツアーでの収益よりも遥かに大きく。
コンサート収益を犠牲にしてまでも、将来的なレコード収益を手に入れることを考えればマザーとしては
充分にソロバンの合う話でもあった。