1987年 8月19日 日立市民会館
再び尾崎はツアーを始めた茨城県にきていた。
地方まで隅々まで赴くのがこのツアーの目標であったのであろう。
名前が知られて、レコードの売れ行きがよければツアーの回数が変わらなくてもコンサートの本数は半分ほどになって、以前は赴いた地域には行かずに地方都市の大きなハコでライブを行い収益をまわすというのが
この業界の大きなところであるとは思うが、収益以前にもこのツアーには尾崎の復活にかけた思いというのが投じられている。
このツアーは後に中断されてしまうが、この復活にこめた意味は後年のバースツアーにも行われる手段である。