1986年 7月中旬
花火が打ち上がる中、何度も冷えたピザを食べる生活が続いた。
街は危なくて外へ出ることが少なくなっていた。
どんな料理だって、ハンバーガーやピザみたいに簡単に食べれるのがアメリカじゃないかと尾崎は言う。
中華料理だって、寿司だってイタリアン、タイ料理
挙げればキリがない。
マンハッタンに集まってくる人種の多さから多くの文化がその街に重なって合流することによりそのような異文化の料理が集まっていったのではないかと推測もできる。
しかし尾崎にとって多くの人種が集まることは気になることでもなかったという、外国人だらけの街で尾崎も1人の日本人であり、外国人として見られていることを意識していたのかもしれない。