1986年 10月
アパートはアッパーイーストサイドにある、96ストリートにある。
リバーサイド・ドライブとウエストエンド・アベニューの間にあって、ベッドルームにリビング、キッチンに冷蔵庫もついている。
マンハッタンに集まる人種はあまりにも多い。
アパートのフロントにはロシアから亡命してきた尾崎より歳が1つ下の男が働いていた。
尾崎の体の3倍はある巨体であり、尾崎も少し身震いしていたようであるが
‘とても優しいやつなんだ‘
と回想している。
当時はまだ米ソによる東西冷戦期の時代であり、このアパートには東側の共産園から亡命してきた外国人がとても多かったという。
‘みんなグリーンカード欲しさに必死さ‘
(グリーンカード=アメリカ合衆国での外国人永住権、およびその証明書の通称)
と尾崎には見えたという。
尾崎には帰る家がある、このNYという街では音楽の勉強、自分さがしの旅も兼ねていたが帰る家は日本にあった。
彼らは故郷を捨てて自由の国といわれるアメリカにきて、この国で暮らそうと決めて日々頑張っている。
少し状況が違っても尾崎は彼らと同じ異国の民であったことには変わりはなかった。