1986年 7月中旬
`須藤さん映画でも見に行きませんか?`
と尾崎は須藤氏を映画に誘った。
余談ながらニューヨークには現在115館以上の映画館があり、その半数以上はマンハッタン内にある。
この街で生活している人間たちにとって映画はとても身近な娯楽の一つであったのではないかと伺うことできる。
地元の新聞である有力紙「ニューヨークタイムズ」をはじめ「ニューヨーク・ポスト」、「デーリー・ニューズ」などの新聞は毎日映画の上映時間を詳しく載せていた。
近くの映画館まで来ると、封切されたばかりの「エイリアン2」が上映されていた。(全米封切は86年7月18日)
偶然にも2人は気鮓ていたので、見る映画を「エイリアン2」に決めた。
この頃の1本の映画を見る料金は7ドル50セントほどであったという。
筆者の思いとしては映画興行も衰退の道を去ることながら日本は映画館へ気軽に行けないのが今の現状かもしれない。