1986年 7月中旬
日本食が恋しくなってきたというのがNYで少し暮らしている須藤氏と尾崎の問題であった。
ニューヨークのホテルキタノにある『白梅』という日本料理店で食事をしようということになり、尾崎と須藤氏はここでよく食事をした。
熱燗とウニで2人はよく仕事の話をした。
これから作るレコードのこと、音つくりに関してもそうだ。
以前まではエンジニアに任せきってきたこともこれからは自分でやってみたいというような意欲に満ちた話もあれば、いつからレコーディングを始めよう?
という話も出た。
まだ始めることは難しいけど、年内に始めれれば翌年の発売には間に合うのじゃないか?
という話にもなり、年内にレコーディングをNYで始めようということにもなった。
そうなったら長期滞在用のビザを2人とも取らないといけないねという話をしたという。
少なくとも尾崎はNYというこの退廃した街で暮らしながらも‘仕事‘でもある‘音楽‘にはやはり強く反応していた。