1986年 8月
8月になった。
須藤氏は日本へ帰国しまたNYでの生活が始まった。
ここからの話は一部的にも決定的な証言や証拠に欠けるために想像に任せるところが多い事を了承していただきたい。
尾崎は少なくともこのNYという街でドラッグを覚え、後に87年12月、覚醒剤を所持しており逮捕に繋がっていくものと考えることができるが。
どこでドラッグを覚えたのかというきっけかはNYで覚えたという話が有力ではないかと思う。
特にこの時期のNYでの薬物による犯罪率の急激な増加を考えればたった1人でNYでいる尾崎がドラッグに侵されたということも考えやすいことではないかと思う。
しかしなぜ使用したのか?
という話に終始するが、自らの意思であったのかどうか?
尾崎は後年ツアーパンフレットにおいて、
セントラルパークでドラッグの売人たちに襲われ、銃を突きつけられて各種のドラッグをやらされた
と書いているが、これが事実かどうかにせよ銃を突きつけられてドラッグをやらされるという話はどうにも合点がいかないが、いくらドラッグに汚染された時期のNYであっても天から舞い降りたり、降って湧くような代物ではなく、違法なものであるのだからそのドラッグを売っている売人、いわゆる‘ディーラー‘に接触しなければいけないであろう。
尾崎にはNYで1人、現地の友人を頼っていったわけでもないが確実にドラッグに汚染されていたことは確実である。
少なくともこの8月頃からドラッグを覚えていたのではないかと推測して、以後触れていく尾崎はドラッグに汚染されていくことを前提として話を書き進めていくことにする。