1986年 8月
CBSソニーはこの事務所との争いに関して黙っていたわけではない。
ソニーは尾崎豊の事務所を尾崎家で設立してはどうか?
という提案をした。
そのための援助をソニーはすると話したという。
しかし父母には音楽業界の知識などはなく何もわからない。
これは子供がミュージシャンであるからといって親も多少の知識はあるのではないかという?
思いからきたのかもしれないが、少なくとも2人からすれば音楽業界そのものが未知なる世界に見えたことであろうし知識にいれておかなければいけないものでもない。
信頼できるスタッフでもいれば別であったろうが尾崎本人にもまだこの業界のシステムがよくわからずノウハウも当時はあまりなかったようにも思える。
また後年に尾崎は独立するがその際にも最大の問題は始動させるための資金であったようにこの時の尾崎家による事務所始動に関してもその資金をまず借りなければならないという問題があった。
兄康氏は自著でこの問題を振り返り
「絶対無理だよ」
と述べていたことを明かしている。
それにソニー側の話も今一つ具体的とはいえなかったというように、ソニーとマザーを比較すれば以前にも述べたようにマザーのほうが形として手堅く見えたということになる。