1988年 7月
話は「太陽の破片」のP撮影のことへ
「今度は自分の映像、ビデオ作って。あれ見ましたけど、かわいいですよね、子供が。」
「子供をあやすのに1時間くらいかかって(笑)」
「3つか4つの女の子、男の子10人くらいずつ出てくるんだよね、で、みんな裸なのね。」
「最後の方は「かっこいいおにーちゃん頑張ってー」とか、「かっこわるいおにーちゃん頑張ってー」とか言われちゃって。
「子供かわいいなぁ」って思いながら・・・。あの「太陽の破片」ってイメージから子供を連想した佐藤輝さんの構想が素晴らしいなと思って、僕は頑張ろうと思ったんですけど。」
「輝さんの作るビデオと、ビデオの中の尾崎くんは結構ぶつかりあいをしてるような感じはあるね。」
「酒飲みながら話したんですけど・・・1日目が終わった後なんかねぇ、自分は輝さんにかっこいい部分も撮られてるんだけど、かっこ悪い部分もそれ以上に撮られていて・・だからそれを最終的に映像にまとめられた時に、自分で見て映像でカバーされていると思うとくやしくてね。ここはもっと自分の荒っぽさというのか、自分自身の素材がもっと強く出るような・・・演技っていうのかな・・。」
「ステージと同じパフォーマンスかもしれないし。」
「「俺の撮り方は、役者さんの方も1シーンは力を抜いてだい2・3シーンと、段々力を入れていく」って話を聞いて、「じゃあ、そうですか、わかりました。明日もよろしくお願いします」って、パッと次の朝目が覚めたら、「よーし尾崎、1シーンいくぞ。よし、この湖で泳げ」とか言っていきなり(笑)」
「ハッハ(笑)いきなり過酷な。」
「過酷な。クレーンで吊り上げられたりとかね。」
「あの宙を浮いてるのってクレーンで吊り上げたの?」
「えぇ。」
「あれは本当にね、ふわーっと浮いてる感じした。あの滝はすごいね。」
「滝は結構ねぇ。その晩に俺が酔っ払いながら「映画もなんか出てみたいなぁ」なんて話して。」
「うん、意欲的だね。」
「意欲的に。映画に出たら、自分が演技する時は、この滝に打たれてる激しい情熱を「出したい!」みたいな気持ちがすごくあって、その滝のシーンでは全、僕の演技力をぶつけてみようとか思ったりしてね。」
「あれ、本当に当然打たれてたんだよね、どれくらいの時間打たれてたの?」
「時間にして1時間くらいだったかな。びしょびしょのまま待ってたりしたから寒かったんだけど、役者さんはそういうところも我慢するんだろうなとか思うとね(笑) 俺は役者なんだ!みたいな気持ちになったりとかね。色んな自分の気持ちの抑揚を楽しみながら。 」
「でも、尾崎くんの映像ってクレージーだよね、全部。」
「僕、いつも自分のビデオ見直して思うんだけど、尾崎豊って言う人間ってことだけでなく、その画像の中で、パフォーマンスってものもすごく出していきたいから。
なんかそういったことも結構好きなんで。だから例えばペンキかけられる画像とか、プールで溺れたりとかね。
あれNYに持っていって、ビデオをアートでやってる人に見てもらったときに、僕はPVって以前に画像もすごい綺麗だと思ってたから、my根張って見せられたというか。彼女も「あーいいビデオだ」って言ってくれて。ぼくもそういう画像の綺麗さみたいなものを大切にしていきたいと思ってね。」
「今回の「太陽の破片」も、光とか色とかがすごーく綺麗だった。それとね、目がすごく優しそうだった。」
「あーそうですか。結構泣いたりとかね。色々と。」
「そう最後のね。あれ、あれは結構来るものがありますよね。」
「僕の曲を作る時の、葛藤みたいなものがありますよね。」
「自分で言うなって!(笑)」