1988年 8月
マザーをやめたらいいのだが、どうしたらいいだろうか?
という尾崎の相談を兄の康氏がうけたのが88年8月頃であったという。
これより時期を前後して尾崎はやめたい旨を口頭で伝えていたのが話にならなかったという。
取り合ってくれないことを考え康氏は明確な意思表示を示すために「辞表」を提出してみてはどうか?という提案をした。
文面まで康氏が練り電話で伝えたという。
後の話になるがこの辞表の提出は東京ドームでのライブ直前に提出したという。
そして尾崎はLIVE COREをマザーでの最後の仕事としてデビュー以来所属してきた事務所を去ることになる。