1988年 9月
ソニーに戻って須藤晃氏と一緒にまた作品を作りたい・・というのがこの頃の尾崎の考えであった
古巣のソニーには過去に3枚のアルバムをともに作った須藤氏がいたからだ。
須藤氏にしてみれば尾崎が移籍をしたことによりあくまでプロデューサーはレコード会社の社員であり社員1人の思惑でアーティスト1人のこの先の道を決めることができない・・とても自分を小さな立場の人間であるとは考えていたようである。
尾崎が移籍してしまえばそれまでと考えていたようであるが「街路樹」の制作がうまくいかない頃から尾崎は再度須藤氏を訪れていた。
その後須藤氏は何度も体調を崩して入院をしていた当時30代後半であった・・陽の光をあまり浴びない生活が続いていたのが問題でもあったとか・・