1987年 6月中旬
夜がふけた頃
レコーディングが行き詰まっている中、尾崎は空いた時間に父親である健一氏と一緒にあるレコーディングスタジオに来ていた。
お訪ねのスタジオには旧知の間柄である須藤晃氏がいた。
須藤氏と尾崎の関係は十代での三部作を作ってきた関係であるが、尾崎はレコード会社を移籍したことにより一緒に仕事をすることはできなくなっており、絶縁に等しい状況である。
そこに尾崎が訪ねてきたのである。
会ってみると尾崎は口を開いて
「須藤さんとはもう一応離れたんだし、会っちゃいけないと思ってた」
と言った。
尾崎は今のレコーディングの状況を話すと持ってきたテープを聞かせた。
10曲近くの詞がはいっていない曲が続く中、「街路樹」という曲にだけ詞がついて尾崎の声がはいっていたという。
須藤氏はとても素晴らしいなと思い
「すごくいいな」
と言うと
「こんな感じなんですけど、どうでしょうか?」
と尾崎は聞くが須藤氏は黙り込んでいると
「やっぱり須藤さんといっしょにやりたいな」
と言うと続けて尾崎は言う
「やっぱりできないんです、あるところまで来るんだけど、それ以上は進まないというか、どうしていいかわからなくなるんで」
と尾崎は言ったという。
3時間近く尾崎は父親を待たせてスタジオのロビーで話をした。
須藤氏はなにかコメントをしようと考えても時間が過ぎていったとこのことを回想しているが、2人で大きく溜息をついたあと
「やっぱり須藤さん、一緒にできるようにしてくれませんか?」
そう尾崎は言うとスタジオを去っていった。
須藤氏はこのときに尾崎が見せたすがるような目つきの人間尾崎を思い出すと自著で述べているが尾崎自身が自分で言う「弱さ」というものを強く見せた瞬間であったのかもしれない。