matagorou’s blog 尾崎豊 自由に生きられるかそして感動を得られるか

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生きている限り

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1988年 10月

尾崎にとっては周りに迷惑をかけながらも前進してきた88年も残り少なくなってきた・・
裁判の際に「生きている限り、面倒はみます」

と言ってくれたマザー、福田氏とも別れ尾崎は1人での道を歩み始めた。
音楽活動をしたくても契約の都合上、今は無理な話であった。

必然的に再び現れた休養期間といってもいい・・・
マザーとの契約はあと1年のこっていたがそこにはソニーの仲介で弁護士を立てての話し合いになっておりまた尾崎もマザーでは仕事ができない環境下にあったといっていい時期でもあろう。

余談ながらこの10月マザーは別の子会社を作りそこの所属スタッフに空田満氏を派遣した。
尾崎がマザーから去ったのと同じように尾崎に関わった人間が左遷ではないが、マザー本社から移る事件もあったが空田氏曰くこれは尾崎のLIVE COREのライブがこの異動を決意させたと語っている・・