matagorou’s blog 尾崎豊 自由に生きられるかそして感動を得られるか

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池田屋事件 謎

以前僕の担任が幕末の話で論争になったのは。
確か元治元年の池田屋騒動の話。

京都大火
京都に火を放ちその混乱に乗じて中川宮朝彦親王を幽閉して当時一橋慶喜とよばれていた徳川慶喜京都守護職の任に就いている会津藩松平容保を暗殺し 孝明天皇を長州に拉致するという計画だった。

当時の思想的観点からいえば滅亡寸前ではあった幕府天下の時代に将軍候補と大名を脱藩浪士が暗殺しさらに帝を拉致するという。

今日の観点からみれば最も過激なテロ行為であると思いますがそれほど国を思っての愛国心と帝絶対の崇拝そして機能していない幕府政治。

それへの革命的行動は明らかです。

しかしこの事件を未然に防いだのが新選組でした。
新選組は炭薪商の古高俊太郎が不逞浪士でありなが一般市民に扮しているという情報をつかみ捕縛。
拷問の末に吐き出され情報が京都大火でした。

さてこの事件では吉田稔麿北添佶摩宮部鼎蔵・大高又次郎・石川潤次郎・杉山松助・松田重助
などの志士が斬殺、捕縛後に処刑などで維新をみるまえに亡くなり倒幕幅派としても痛手だったと思います。

明治維新が一年遅れたと言われていますけど。
司馬遼太郎は逆に一年早まった。そしてこの事件が起こらなければ薩長主導の明治維新はこなかったと
燃えよ剣」でしたかね書いておられました。

さて論争の火種はここにあの桂小五郎がいたかどうかなんですよ。
桂小五郎は通説ではここで行われるはずだった会合に参加する予定だったのですが時間が早いということで対馬藩邸で仮眠をとっていたところこの事件が起きている間に逃げ出したという話ですが。

池田屋騒動勃発時間に池田屋にはいて屋根をつたって逃げたのではないかという疑問でした。
この説を説く幕末史の学者はいくつか存在していまして。

一度仏教大学の方の講義にも参加したことがありますけど。
同じことを言っていました。

真相はわかりませんが。
考えてください。