matagorou’s blog 尾崎豊 自由に生きられるかそして感動を得られるか

Yahoo!ブログからお引越し完了です。matagorou もしくは17isamuです。よろしくお願いします。

1985年11月1日 LTA TOUR スタートから23年

休養期間が僅か2ヶ月近いままで始まりましたLTA TOUR 十代最後の姿ということもありまして。
怒涛の如くこなしていきましたね。

ツアー2ヶ月の間に26公演をまわるというハードスケジュールですな。

8月25日にTOG TOURが終了それと同時に新アルバムの制作にはいるわけですけど。
それまでに作詞作曲、レーコディング、新ツアーのリハーサルと多忙を極めたことでしょう。

そして重要なことが新ツアーにはいるまでにありましてバックバンドのハート・オブ・クラクションのキーボード担当井上氏がスタジオ経営などの件で脱退。

同じくギター担当の江口氏も脱退を表明〔後に脱退表明を撤回してHOKに残り尾崎NY帰国後のツアーにも参加。〕

多少の混乱があったと鴇田さんも話していましたけど新メンバーを募集するということでオーディションが開かれたのこと。

尾崎はインタビューで語っていましたがピアノの生音がすごく好きだそうでTOGまでは井上氏が電子ピアノやってシンセサイザーをやってとステージではとても多忙であったらしく今回のツアーからは仕事を分担するということでピアノとキーボードと二人募集したそうです。

〔ちなみにこの時はまだ江口氏は脱退表明を撤回していなかったので同じくギターも募集されたそうですがめぼしい方がおらず脱退表明を撤回したそうです。〕

そして新メンバーとして合格したのがシンセサイザー松原博氏と後に尾崎の楽曲アレンジ、アルバム制作の重役までに抜擢されることになった樫原伸彦氏です。

〔樫原氏はこの時の21歳だったそうでしたけどとても21歳には見えなかったとか。〕

新ツアーは11月1日から始まり元旦まで続きました。
そして短期間でのツアー実行に関して鴇田さんはTOG TOURの追加公演だったと語っています。
セットリストを書いたメモを見せてもらいましたけどメモにはTOGと題されていましたけどメモの内容は

LTA TOURのセットリストでした。
そしてこのツアーでは二代都市である大阪の東京では同時に公演がされていません。
TOGでは大阪でライブがあり東京ではありませんでした。
逆にLTAでは東京でライブがあり大阪ではありませんでした。

ツアー中にはメインイベントである代々木オリンピックプールでの2日間公演。
〔チケットは即日完売。〕

そしてツアー中には新アルバムが発売される。

TOGから駆け上がってきた絶頂期でありましたね。
尾崎が輝いています。