matagorou’s blog 尾崎豊 自由に生きられるかそして感動を得られるか

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24年 1985年 1月12日 日本青年館


尾崎豊(Yutaka Ozaki) - 僕が僕であるために(LIVE)
1st TOUR 東京場所日本青年館
当初は前年の9月にライブを行う予定だったが 8月日比谷野音でのライブ中に尾崎は事故を起こして
それ以降回復するまでの コンサートスケジュールは中止された。

彼が事故を起こさなければもっと早い段階で ツアーは始まっていたかもしれない。
このツアーは前年に行った6大都市のライブハウスツアーとは違い 全国21公演でのホールコンサートツアーで12月3日 秋田から始まった。

ツアーも中盤佳境にはいった時期がこの青年館コンサート。 
ツアーの中でライブを行うホール会場の中では最大のキャパシティを誇り 約3000人を動員した。

このライブのことはライブ映像作品「OZAKI19」でみることができる。
ルイードからまだ1年も経っていないのに 8月~12月まではライブステージでのブランクもあったはずなのに このツアーでは前年の初々しい 垢が抜けているのが事実である。
ちなみに半年後にはすでにかれは2nd TOG TOURの途上にある。

このライブで印象に残っているのは後年尾崎が著書でも語っているように MC中に観客席から「バーカ」という言葉が聞こえたことであろうか。

HOKの鴇田さんの話では尾崎以外のステージにいHOK スタッフが凍りついたという話だった。
そして尾崎の友人である 鈴木賢司さんの乱入。
やはりギターリストですね かなりのギターソロをプレイしてくれますからね。
乱入後の 風船が山のように 出てきますけど ドッキリだったという話 は驚きましたね。

このツアーでは尾崎が十代の活動の中で完成させる 曲の原型が歌われていますね。
ドライビン、フリムン、ドーナツショップ反核スクランブリング

ドライビンはまだ疾走感のないアレンジですけど数ヵ月後に始まる TOPGTOUR では後々に完成されるアレンジになっているのですよね。

ドーナツショップは 詩がまったく違って 長いMCの語りの部分〔語りの部分は毎回違うもので あるときとないときがあったそうです。〕

スクランブリングは間奏のアレンジが違うんですよね~

反核・・・・・・・・・・・・・ 後の核の原型ですけどまったく違いますね もっと反戦反核という願いよりも自分に焦点をあてていて 

フリムン 大阪球場までのテイクがバーガーショップとよばれていますけど この曲は 詩を書いたノートのページを破って? リハーサルにで試す映像が残されていますし。
リズムがまったく違っていて 新鮮なんですよね。


そして裏話ですけど 尾崎本人はこの青年館ライブを自分ではまったく満足のいかないライブだったと言っており
ツアー終了後に初日の秋田と青年館の映像を見たのですけど 初日の秋田が断然よく 爆発しているのに
青年館を見たときは 
「これは俺じゃない」 と思ったらしく それ以降の名古屋、札幌などのステージも同じような感じだったと話していました。