matagorou’s blog 尾崎豊 自由に生きられるかそして感動を得られるか

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アトミックカフェ

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1984年8月4日 アトミックカフェ

『演奏曲』
 1.核(CORE) 2.Scrambling Rock'n'Roll 3.十七歳の地図 4.愛の消えた街
『出演者』(出演順)
 「白竜」、「ザ・ルースターズ」、「学校開放新聞(飛び入り・アマチュア)」、「明田川荘之」「シオン」
 「PJ&クールランニングス」、「尾崎豊」、「ブルートニック&ザ・ガーデン」、「ゼルダ(飛び入り)」
 「ARB(飛び入り)」、「トマ食いうなぎ踊り(反核市民グループ)」、「加藤登紀子&センチメンタル
 ・シティ・ロマンス」、「タケカワ・ユキヒデ・グループ」、「浜田省吾

なんだかんだの尾崎伝説の始まり。
トリは浜省であり、また以前出演した前座というわけではないが反核コンサートと銘打たれている。

演奏した反核は6月に行われたライブハウスツアーでも演奏されていたが尾崎を見に来た人へはまだ聞く耳をもってくれているかもしれないがこの反核コンサート用に以前からつくられていたという話も残っているが後にこれが核[CORE]に昇華されていったことを思うと運命を感じる。

しかし反核を尾崎は少し歌い間違えているのか詩がまた変わったのか?
おかしな場面もあるが真夏に野外ライブであったわけだからおかしかったのだろうかw

さてここまでは推測。

2曲目のスクランブリングで彼は間奏中にPAに登っていった。
彼はMCで言う
「嫌なことはあるけど、俺は戦争が起こってもロックンロールをし続けるぜ」
以前飛び降りた位置よりももっと高い場所に登ってしまい

尾崎曰くの「コレハ計算外ダッタ」というのが切実な気持ちを表しているようにも思える。

しかし彼は飛び降りて骨折、そして残りの十七歳の地図のドラムがはいると尾崎の「俺は歌うぜ!」 っていうMCがあるけどなんとも強気のようにも思えるが写真を見る限り相当きつかったはずだw
愛の消えた街も歌い終わった後に救急車で自衛隊中央病院へ搬送された。