1984年5月17日 渋谷
反核とはなんぞや
という問いを尾崎は考えている。
84年・ロサンゼルス・オリンピックではソ連を主軸とする共産東側諸国がオリンピック憲章違反を理由に不参加を表明した。
これには理由があり4年前のモスクワオリンピックではソ連のアフガニスタンへの軍事介入を理由に西側諸国がボイコットをした政治的背景がある。
やや話は政治向きな話にそれているが余談を許されたい。
この東西冷戦構造の中には何度か核を用いた核戦争の危機があり、古くは1962年のキューバ危機がその代表例であったろうが、ドイツ、ベルリンに壁を設けてまさに東西抗争の象徴のようにも今日では考えることができるが、当時はその真っ最中であった。
核というものをもっと身近に感じないといけないと尾崎は語るがこの同時期のロックシーンというものもRCセクション、サザン、佐野元春、浜田省吾などが反核コンサートに招致、開催をされておたが、こんな豪華なメンバーだから見に行くという話題性だけではダメだと尾崎は語る。
しかし尾崎は政治的なアーティストでもなんでもないということは真実でもある。