尾崎が広島を訪れた際に原爆ドームに行った話なのだけどただ呆然と立ち尽くしていたという話。
原爆ドームには87年の広島平和コンサートのときに山内さんが原爆ドームを背景にした写真を撮っているけど
18の尾崎がその現場に行ったことに興味がある。
俺もいつか行きたいのだが中々広島とは遠くて足が伸ばせない去年も姫路で断念してしまったしね。
で話が毎度脇道へ行ってしまいましたがこのツアーの事に関しては札幌と名古屋、大阪と3会場について書いた。
彼自身初のツアーでありまた広島では声が出なくなってギターを叩き壊した話などがある。
1984年6月26日 広島ウッディストリート公演あ終ると彼は翌日次の公演場所である福岡へ1日かけて移動した。
28日福岡ビブレホールでこのライブハウスツアーは終了した。
全国ツアーと言っても後の尾崎のライブツアーと比較してはライブ数も少なく物足りない初期の頃といったイメージがあるかもしれないがこのツアーで彼は少なくとも5ヶ所の地方の人間と3時間ほどでしかないだろうがファンたちに姿を見せてまた交流ができたはずだ。
尾崎の創作活動にも影響を及ぼしたであろう。
29日に福岡を発したツアーのハイエースは30日に帰京し父健一氏の著作にも尾崎は元気に帰ってきたそうだ。
しかし休む間もなく翌日の7月1日には1回目の日比谷音楽堂での出演があり、2枚目のアルバム「回帰線」の製作、レコーディングの準備段階に入るなど尾崎は途端に忙しくなり、7月とは緊張度の高い一ヶ月となっていく。