matagorou’s blog 尾崎豊 自由に生きられるかそして感動を得られるか

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自衛隊中央病院

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1984年8月4日
 
尾崎の父健一氏は奥さんと共にこの6日と7日を利用して那須へ1泊旅行を計画していた。
奥さんの友人がペンションを始められそのお招きをうけたので応じるところであったという、そんな時に息子の豊がライブで負傷したという連絡が自宅にはいり、急遽取りやめ、本人がどうしても自衛隊中央病院に入院したいという希望があり、健一氏は自ら手続きを行い、入院したのが時に午後8時を過ぎたころであった。
 
この時の情景を健一氏は書き残しているので随筆風に残しておく。
 
暗がりの中に「お父ーさん」という尾崎の大きな声が聞こえたので、目を向けると、そこにはバンドメンバーのハート・オブ・クラクションが尾崎の車椅子を押して現れた。
 
メンバーの中には尾崎が前の病院で負傷部位にぬられたと思われる石膏の白い泥がズボンにこべりついている方もいたという。
 
すでに健一氏が病院に着く頃には事務所のマザーエンタープライスの人々と共にレントゲンも終わっていた。
右蹠捻挫、左踵骨圧迫骨折という診断がくだされ、担当の医師は夜間のため不在、また医師により右足の捻挫は大したことはないが、左踵の骨が一部陥没しているので、整復手術をすることになると告げられた手術は後日ということになり、歩行不能の車椅子生活となった。
 
仮のギプスで左足の膝から下を固定した上、当夜尾崎は入院、人々はそれぞれの家路についた。