matagorou’s blog 尾崎豊 自由に生きられるかそして感動を得られるか

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1986年 11月中旬

アップタウンのアパートに戻ってきてからも尾崎は以前と変わらない生活をしていた。

数日経ったある日アパートを訪ねてきた日本人がいた。

所属事務所マザーの役員である佐藤庄平氏であった。

余談ながら佐藤氏に触れておきたい。
佐藤氏は元々HOUND DOGが仙台で活動していた際に所属していた事務所フライングハウスのスタッフであったが彼らが東京進出をし、東京での活動をするために旗揚げしたのがマザーエンタープライスであり、その事務所設立時からいるスタッフで社長の福田氏に並び古参株の1人であった。

佐藤氏は84年の12月にHOUND DODのマネージャーから担当を尾崎に変更され、85年以降は尾崎をマネジメント担当しながら事務所の発行する会報、取材などのブッキングを担当してもいるスタッフであった。

訪ねてきた理由は移籍に関する話であったことは尾崎にも大方の予想ができたが彼は世間話を話始めると思い出すように昨年、代々木体育館を満員にした頃の話を始めた。

あれから1年後、活動を休止してNYに滞在するとは尾崎本人も考えてはいなかったことであろうが、佐藤氏は色々と今の日本の話をし、

「7月から始めた尾崎の映画は全国で300ヶ所、文化祭になにからなにまで引っ張りだこで...」

という話を始めた。
尾崎には以前の姿を収めた映画よりも今が大切だったのかあまり興味を示さなかったが、佐藤氏は今の日本の音楽についても話をした。