matagorou’s blog 尾崎豊 自由に生きられるかそして感動を得られるか

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取材2

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骨折した後の尾崎に触れなければならない。
彼の活動予定は骨折以後復帰の目処が立たなくなってしまったが 19歳の誕生日を迎えた後 1984年12月3日より
全国20数都市を回るホールコンサートツアーが始まるがそれはまだ先の話である。

病院での尾崎に触れたい。
左足圧迫骨折、複雑骨折であり左足のかかとがほとんど砕けてしまう重傷であった、同時に右足のねんざをした。
この時期に多くの友人、仕事の関係者、取材陣など多くの人間が訪ねたようだ。

特に藤沢さんが取材した際の話がおもしろいのでここにその情景を記しておきたい。

病院食が不味く藤沢さんが手土産としてみってきたケーキに尾崎が「こうゆう味にうえてたんですよ」という言葉がいい
俺はまだ入院というものを経験したことがないのだが施設でのご飯は老人向けが多く味が薄いことが多い。

話が脇道へそれているが8月5日吉川晃司とのジョイントコンサートが予定されていたが骨折ということが判明し中止された。
有名な話だがこの際にハトが20羽をステージの横からとばした。

吉川は尾崎とのジョイントコンサートを楽しみにしていたようだったが将来的に共演はHOUND DOGの86年のステージで彼らは共演することになる。

吉川から藤沢氏を通じての尾崎への伝言があり。
サンフランシスコでのcm撮影を終えたらお見舞いに向かうとという話であったが
この取材が行われた1984年8月16日、尾崎は退院してしまった。

余談ながら尾崎は彼がお見舞いにきたら病院中大騒ぎになってしまうよwと語っており。
また骨折をした野音でのステージのトリが浜田省吾だったからか?
浜田省吾からお見舞いの花束を頂いたようだが
看護婦から「どうしてあなたが浜田さんから!!??」という不思議そうに見られたが誰も彼がレコードを出しているとは信じてくれなかったようだw

取材中に看護婦から頭を叩かれる尾崎の姿とうのが幼稚園児のような姿に見えたと本にも書いてるがただの青年であったということであろう。