1984年 12月3日 羽田空港
同日11時30分発、全日空877便
尾崎はこれからツアーに出る
初のホールツアーで初日は秋田
「夜の8時に寝たんですよ。遅刻しちゃいけないと思って、そしたら夜10時くらいに目が覚めてそれから眠れなくなってしまってバカだなほんとに」
昨夜の尾崎はこんな具合だった。
8月のアトミックカフェで骨折後に行われるツアー初日の秋田公演に期待と緊張が考えられる。
会館へ向かう際のタクシーの中で
「ボクはみんなと同じように悩んでいる。そんな人間だってのを解ってほしい」と言っている。
卒業の発表と同時にそれ以後の彼のイメージは教祖などと偶像のとして祭り上げられてしまうのだがそれよりも前に尾崎は悩みということを告白している。
このライブでのリアーサルの映像は少し625DAYSで見ることが出来る。
引きちぎった紙きれみながらバーガーショップを歌う尾崎の姿を見てふと思ったことは筆者以下バーガーショップも後にFreeze Moonと改題されて世に送り出されるがこの成長期の尾崎とでも言ってしまってはいけなが仮称するとすれば正しいのかもしれない。
ともかくもこの時期の足跡をもっとこれから追いたいと思う。