matagorou’s blog 尾崎豊 自由に生きられるかそして感動を得られるか

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新潟市公会堂

 
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1984年12月27日 新潟市公会堂
このツアーでの年内最終公演の地は新潟であった。
8時間列車内に拘禁状態を体験。翌日午後無事公演開始。 
前日の金沢公演を終えて次の地である新潟への移動中豪雪のために列車への送電が停まってしまい尾崎一行は電車は立往生
尾崎一行は列車の中に身動きもとれないまま閉じ込められてしまった。
翌日会場が取れたらということでこのライブは昨夜のリベンジ公演 調べるとこの翌日のリベンジ、振替公演は昼に開催されたようだ。
 
この一言からやはり公共文化施設を借りる際には時間にとってもうるさいという話を尾崎は後年ライブのMCなどで語っている。
余談になるが尾崎はステージにマイクスタンドを叩きつけ穴をあけたり、ピアノの鍵盤を破壊したりと地方の会場では出入り禁止をされたことがったが何分社会上のマナーとして遅刻と遅延は厳禁であると思うし、金銭と契約上の問題もあったであろう。
 
地元イベンターの立場も悪くなってしまえば次回からマザーとの仕事を断られたりする可能性もなくはなく
マザーとして会社に負い目を背負ってしまうかもしれないが福田氏の決断と手腕、言葉は尾崎を引っ張ってプロデュースしていくマザーの総帥としての威厳を備えており。奇抜と豪放磊落なその性格を慕っていた人間も少なくなかったのであろう。
 
さらに余談になるが福田氏は1年ほどアメリカを旅行していた時期が20代の頃にあったという見聞を広める機会にはなったのであろう。
当初LTATOURの終了後に予定されていた留学先はロンドンであったが1986年4月に起きたチェルノブイリ原子力発電所事故の関係で留学先をNYにしたが尾崎のこだわりもあったろうが福田氏がアメリカを推した理由もわからなくてもないと思うな。