1985年 8月23日 栃木会館
前日の
前橋市でのステージを終えて、栃木へ移動。
栃木というと尾崎はよく宇都宮でコンサートを行っていたが、少し地域を移してみたようだ。
しかしコンサートを行う地域の査定を行うことで重要なのでは人口であり、尾崎のファン層などについては
当時m.m.m(
マインドマップメンバーズ)とよばれる公式ファンクラブが存在していた。
尾崎のファン層というのは後年も同じであるが地方にも幅広くファンが存在していたことがわかっている。
その布石を作ったのがこの全盛期での精力的なコンサート活動ではなかったであろうか?
この栃木会館でのステージが事実上の回帰線ツアー最終日であった。
が、追加公演という形でその翌々日25日
大阪球場でのライブが決定している。
今までのキャパシティはどれも1000人前後、多くても2500人といった所であったが、
大阪球場のキャパシティは少なく見積もっても20000人は収容できる球場コンサートになる。
尾崎は少しの休養を経て大阪へ向かう。筆者もある一つの区切りへこの稿がきていることに緊張と、高揚が計り知れない。