matagorou’s blog 尾崎豊 自由に生きられるかそして感動を得られるか

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渋谷でのオーディション

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1985年 9月 渋谷スタジオ
渋谷のスタジオにハート・オブ・クラクションのメンバーは集まっていた。
この時のことをギタリストの鴇田靖氏はこう回想する。

「ずーっと友達がメンバーになり、幸いにも活動を続けてこられたバンドに、オーディションでメンバーを補充。ケタがいなくなり、江口がいなくなってしまう。
決定的瞬間、そして今日のオーディション。この中に明日からHOKとして、仲間に加わる人間がいる。

いつものように入ったスタジオなのに、みんなの表情は冴えない。私の隣でいつものようにセッティングしている江口がいなくなる。どんなに仲が良くても、進む道はそれぞれ。重たい気持ちを引きずって、オーディション開始。」


「今日の課題曲のカセット・テープと譜面をお渡しします。今から30分後にひとりずつ、スタジオに入って演奏して貰います。よろしく。」

そう候補者たちに言うと、バンドの面子は横一列に並んでいる、そこに1人、候補のギタリストがはいってくる。

課題曲は「十七歳の地図
1人目が終わって6人目が終わる頃、
「なんなんだみんな譜面通りにしか弾けないんだ!」

11人目になると全員は怒り出し、尾崎はマイクスタンドをとばし、ベーシストの田口氏は椅子の上に乗り、暴れる。

そんな中尾崎は以前と同じように鴇田氏に言う

「ねえ鴇田さん、ギター1人でも大丈夫だよね?、なんとかなるよね? ね?」

そう言われている、鴇田氏を少し笑う、ドラマー吉浦氏とベーシスト田口氏の姿もあったという。

「鴇田くんて、ギター、うまかったんだねー」

「そうそう」



「そんなにヘタだと思ってたんかい!!プンプン!!そりゃー、江口と比べたらさー・・・・・。まっ、いいか。しゃーねーなー。根性決めて1人でやるか・・ 不安だなー」

こう少し明るくも筆者は描写しているように、多少のユーモアもあったようであるが、何度も書いている通り、少しの時間のなか、バンドは分裂しようとしていた。

尾崎もバンドも覚悟を決め、大阪球場という難所を超え、ここまでやってきた。
新しいステージへ立つために、ここで新しくバンドは生まれ変わろうとしている。

こう思っている最中、オーディションは次にキーボード奏者に変わってゆくが、それはまた次の項で書くとしよう。