matagorou’s blog 尾崎豊 自由に生きられるかそして感動を得られるか

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ダブルキーパー

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1985年 9月 渋谷スタジオ
ギターのオーディションが一通り終わり、次はギーボードのオーディションにうつる。
課題曲は「Oh My Little Girl

1人目の青年に少しの失望と不安を抱えながら、審査した後、2人目に現れた男にバンドのメンバーは驚きを隠せいない。

「なんだーー、こいつは?!」
背が低く、チョビひげ。流行からまったくかけ離れた服装。決め手はなんといってもまったく似合っていない、たすきがけにした、肩から斜めにかけてる、タバコをいれる小さなポシェット。しかもやたら、自信満々。態度がでかい。さっさと座って、弾き始める。
(鴇田靖談)


自己主張の強い、自信に満ち溢れたタッチ。音のひとつひとつの、粒立ちがいい。1時間前に渡された曲なのに、オリジナルに弾きこなす。

「こいつ、何者????」

Oh My Little Girl」を弾き終わるとすぐに審査から声が出る。
「ちょっと、Rock'n Roll いける?キーはC、好きなように弾いてみて。」
「ハイスクールRock'n'roll」を始める。尾崎が跳ねるように、シャウトする。バンドはライブのように、ガンガン攻める。間奏にはいると、イスからたちあがって、鍵盤を叩きまくる。
そして、ついには、足で鍵盤を弾き始める。全員の顔を見合わせ・・・。

「ごーーーかーーーく!!!!」

こいつだ、こいつ。待ってたよ、君みたいな人を。自己主張したのは、君が始めてだ。
君ならいける。一緒にやろう。君の名前は?

樫原伸彦です。」
とこの男は名乗った。
尾崎のマザーエンター・プライズ所属時代にこの後2回行われた、コンサートツアーでピアノを担当する、男であり、このオーディションにより選出されたのである。

余談ながら後年尾崎が世に送る4thアルバム「街路樹」に収録されている楽曲の多くを編曲した方として今日では尾崎を知る人々の中では有名ではないかと思う、さらに余談ながら樫原氏は現在も現役のピアニストであり、現在もプロデュース、編曲者としての活動を精力的になされておられる。


最後の1人となったのが。バンドの推薦でエントリーした男で杉山清貴&オメガトライブなどで、もう一人のキーボードで入ってた方、オルガンだから「Oh My Little Girl」じゃなくて
「ハイスクールRock'n'roll」で行きましょう、課題曲を無視して、結局オルガンを弾きまくりそしてこれまた、全員。

「ごーーーかーーーく!!!!」

絶対にマネ出来ないその技術には尾崎もニコニコ、ごきげんモード。それで名前は?

「松原博」です。
と名乗り、かくして、キーボード奏者の人選は確定し、デビューから大阪球場まで共に走り抜けてきた井上敦夫氏が脱退、ピアノに樫原伸彦氏、キーボードに松原博氏の2名が新しいハート・オブ・クラクションのメンバーとなった。