もっと光が欲しいんだ、寒いんだとか、暑いんだとか複雑なことを叫んでいる。
そのためにこの「路上のルール」は1曲目に選ばれたと須藤氏は語る。
今まではすごい空腹感とまるで赤ん坊のように叫んでいた尾崎の1年と数ヶ月の生活はこのアルバムを作るまでのツアー、骨折、復活、回帰線の発売、ツアー、大阪球場ときた。
それまでにあった、生活をこなしてきて、このレコーディングにはいってみると、今まであった
「飢え」、「喪失感」、「満たされない心」
挙げればキリがないほどの気持ちが溢れるように詩となり、尾崎の創作に大きな力を及ぼしていたが、ここにきてそうではなくなっていく。
レコーディングにはいっていく、完成したばかりの曲はすぐに音が録られ、尾崎の声入れも迅速に行われた。
すぐに尾崎のマネージャー空田氏は出来上がったばかりのテープと譜面をもって、メンバーたちのいるスタジオへとむかった。
この曲に代表される、スライドギターのソロを担当したギタリスト、今剛氏
鴇田氏の回想によると彼のギャラは当時のクラクションの6倍であったというが、最後のこのソロで今氏は納得がいかず、時間を延長してノーギャラで残したテイクがレコードになった。
さてライブでこのソロを誰が担当するのかという話になると、もう1人のギタリスト江口氏は知らない顔・・
必然的に担当するのは鴇田氏であるが、なにより、今氏の代わりに弾く事がとてもうれしかったと述べている。