matagorou’s blog 尾崎豊 自由に生きられるかそして感動を得られるか

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曲が書けない

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新曲をギターの弾き語りで作ってきた尾崎はテープに録音したり、譜面をもってきて協議したりと慌しく動いているが、そう感じながらも納得のいくものがつくれていない。

もう5曲完成させようと奮起するが、尾崎に残された時間はとても少ない。
追い討ちをかけるように決定した、コンサートツアーが発表され、逃げ場はもうない。

アルバムの出る前に出すものはシングルの「DRIVING ALL NIGHT」を出すことにした、テイクは
大阪球場公演を収録することにした、「十七歳の地図」をカップリングすることにして、尾崎は動いていることを雑誌などでもアピールをしているが、尾崎は少し悩み、詩を書けずにいる。

‘メロディーは作れる‘

そう言ってデモを作りながらも詩を直して、整理して作り続けている。
完成した曲を順次持ち込む話になっているが、そのことはうまく進まず、尾崎は立ち往生をしている。

筆者は今日の観点から言わせてもらえばこの時の尾崎を追い詰めていた問題を一つ挙げてみれば、尾崎を追い詰めていたものは

ファン、もしくは関係者も彼に期待していたであろう作品の完成度と一種祭り上げられた彼へのメディアでのイメージというものであろう。

尾崎の曲は何度も書いていることであるが、「十七歳の地図」以前からの創作の過程を振り返れば尾崎のプライベートゾーンのことをその思いのままに曲へと変え、メロディーをつけたものであると考えるが、そのプライベートゾーンでの曲が尾崎の予想を越えたのか、同世代の人間達に

「共感」というものを生み出して、一種彼らの同世代の代表という形をとってきたが、その進行のスピードが速すぎたのと、大勢の同世代の人間達がいる人だかりの中から最前列に押し上げられ、その群衆たちを引っ張らなくてはいけないような義務をもたされ、かつ思われていたこと、思っていたものがいた事実がこの時期の尾崎にとっては悩みの種となっていたことであろう。