1985年 12月26日 新潟県民会館
会館へ到着すると同時であったが、撮影クルーによる撮影が到着と同時に始まっていた。
余談ながら
‘この日は撮影‘もしくは‘撮影予定‘
というような予告や通達はされることがなく、現場に到着すると撮影が始まっておりまたどこで撮られているかわからないというような関係者の回想も多く、少なくともこれにはディレクターである佐藤輝氏や
事務所の社長福田信氏による
‘ありのままの姿‘
を撮影する意図があったようにも思える。
記録されるということを考えてしまえば彼らはより良いものを作ろうと準備するであろうし、どうしても気構えるような姿になってしまうためであり。
その思いを除去するためには、致し方ない手段であったようにも思える。