尾崎は無期限の活動休止を宣言した。
「疲れ」「詩が書けなくなった」「曲が作れなくなった」
多くの憶測がとんだことであるが、どれも間違いではない。
18歳から20歳までの活動で発表した曲の多くの主人公は十代の人間でありその多くは尾崎本人であったものだが
「十代の代弁者」
として祭り上げられるように伝えられるが、それに応じるような尾崎の対応もなかったとはいえない。
しかし尾崎は自分の作品である「十七歳の地図」、「卒業」などの詩の表面上だけのことが伝わるとは思っていなかったようであるし、これは尾崎の誤算でもあったと思える。
このままでは自分のやりたい音楽活動を行っていけるのか?という疑いをつよめていく中で活動を休止しなければいけない状況に陥ってしまった。と尾崎は語っている。
尾崎本人も後年に話しているが、一度活動を休止しなければなくなった理由はコマーシャリズムの中で誤って、歪曲されて伝えられている自分の姿であったことが理由として挙げられる。
活動休止という選択が間違っていたかどうかではなく尾崎は詩も曲も自分で作っていくシンガーソングライターである。
筆者の推測としては一度歪曲され伝わっているようなイメージ像などを払拭するためには人々の記憶から一時的にでも遠ざかる必要があったのではないかと考えることができる。
もしくはこの状況に陥った尾崎は逃げるように日本から姿を消してしまう。
それと同時に新しい自分の音楽を作るために、創作を膨らますために日本を離れたとも考えることができる。