matagorou’s blog 尾崎豊 自由に生きられるかそして感動を得られるか

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デモたちはどこにいったのか

尾崎はデビュー前からギターの弾き語りなんかでデモを作っては、須藤さんとこに持っていっては意見を求めたり、アドバイスをもらったという。

十七歳の地図」のレコーディングを始めた時にもスタジオテイクで何度か録ったが詞が大きく変わったものがあった。
このレコードが出てからの尾崎は高校の中退、ルイードでのデビューそして初のツアーに挑む。
3月のルイードでもだが、「BOW!」「シェリー」「ダンスホール」とレコードになってない新曲を尾崎は披露しているがそれからも行うステージで当時俗に言う新曲「Scrambling Rock`n`Roll」なんかをやっていて、そのツアー中にできたのがいわゆる「反核」という曲で後の「核」としての原型になる。

ツアーで出来たものや。その日に詞が出来上がったような曲をやったようなこともあったようだ。
野音での骨折以前から製作をはじめていた「回帰線」は骨折での活動休止もあってか時間に余裕があって
完成されたもののように思う。

しかし大阪球場以後の「壊れた扉から」は十代で3枚という目的を達成するために突貫作業で制作が行われた割には、すでに完成していた曲を含めればギリギリではあったが十代で3枚という目的を達成した。

この「壊れた扉から」を作っている際にも作ったような弾き語りのデモを昨年のOZAKI20で聞いた。
しかし彼の創作活動がここで終ったわけではなく、NYへ逃げるように行って無期限の活動休止を宣言。

1年のブランクを経てレコーディングを開始
うまく作品が作れない尾崎を私は今書いているが、新アルバムは完成しないまま尾崎は1986年博多以来のステージに立つ。

その日数は545日ぶりであった。
ツアーでは「LIFE」「街路樹」「街角の風の中」「核」「ISM」「紙切れとバイブル」といった新曲を披露したがツアーは開始2ヵ月半で中断。

この頃にも仮録りしたようなスタジオテイクのデモがいくつかある。
しかしその多くは処分さてたのか陽の目を見ることなく、また尾崎の要望もあってリリースする際に録り直した曲もあった。

「太陽の破片」の発売、東京ドームでのコンサートで復活を見せかけといて彼はまた沈黙する。
その沈黙の期間は88年から90年まで続いたが、その間に彼は新しい音楽活動のためにデモテープを作った、その数は90分テープ3本というものであった。

その中から選別して完成されたのが、初の2枚組みとなった「誕生」であるが
この当時のデモたちはしかしいったいどこにいったのかw

たぶん処分されたのだろうけど、どこかに埋もれているならば一度聞いてみたいものだね
という感想ですw

しかし「街路樹」も早い段階でシングルで切ればよかったと思うのだけど
個人的には「紙切れとバイブル」のタイトルで再発してほしいけど、無理だよなーw