1986年 10月
尾崎家ではNYにいる尾崎を取り巻いている状況に対して危機感をもっていた。
所属事務書対レコード会社という構図は大きく動こうとしていた。
たまに帰国する尾崎の姿は帰国するたびにおかしくなってきている。
やがては尾崎が麻薬に手を出している疑惑が有力になってきたときこの家には悪夢をみることになる。
NY行きへの海外研修を尾崎の両親に説いてきたのは事務所のマザーであったことは以前に述べた。
その監督責任を問うためにもなんらかの形で抵抗するしかないというがの尾崎家の結論に至った。
「要望書」を出そうという話になり、この件については兄の康氏がアドバイスをして「要望書」を作成してマザーに提出することになった。
そのためにも、10月になってまだ帰国していない尾崎の現状が知りたかったが、尾崎の帰国はいつも突然で事前に連絡をいれて
「いつ頃に日本に帰る」
という連絡はこれまでにしていなかった。
この行動でも尾崎の行動を不信がっていたが、次に帰国した尾崎の状態次第事態が大きく動くと見て
おかしくはないであろう。