1986年 10月
まったく触れてこなかったが、尾崎には私生活でも中学~高校のときまでに作った多くの友人たちがいた。
宮原氏というNYにいた尾崎を心配してわざわざ訪ねた氏もその1人にあたる。
彼は高校時代からの友人で六本木や新宿でよく尾崎を遊んだ仲であった。
NYに行ってからもエアメールで連絡をとっていたが、尾崎のほうから連絡が途絶えてしまった。
エアメールが途絶えてから、久しぶりに国際電話で電話をしてみると、尾崎は
「特に変わったことはないんだ」
という返事をしたがその返事には生気がなかったという。
‘一度会ってみなければわからない‘
という思いから宮原氏は尾崎に会いに行くべくNYに行く事を決心した。
しかし問題はいざNYに行ってみると、事前に電話で空港に迎えにきてくれる手筈であった尾崎が空港に現れず、電話にも出ない尾崎の行動により宮原さんは4時間も空港で待つことになった。
仕方なく教えられた住所だけを頼りにタクシーで尾崎の住んでいるアパートへと向った。
しかしこの時の話の流れはなんともダウンタウンに住んでいた時期に訪ねてきた須藤氏と重なるものがある。