1987年 1月下旬
デモテープ作りを並行させながら尾崎は今回作るアルバムのプロデューサーとして起用されている吉野金次がいる新宿のオフィスを訪ねていた。
余談ながらこの新しく出てきた吉野氏に触れておきたい。
吉野氏は尾崎が影響をうけた佐野元春氏のナイアガラ・トライアングルVOL.2,SOMEDAYを手がけたことで業界では有名であった。
そして佐野氏とはまったくタイプが違う尾崎を今回は担当することになった。
尾崎は自己紹介を終えると仕事の本題に入ろうとした。
吉野氏はかつて手がけた佐野元春氏を思い出しながら尾崎と重ねて観察していた。
尾崎が話すにはまだ収録する曲が完成していないことから洗いざらいを話した。
最初から転がってみて転がり続けよう。
と言っているようにもとれることだ。
レコーディングというのは延々と続いて地味な作業の繰り返しになるそこに耐える屈強な精神は尾崎にも既に息づいているが新しい環境と1年のブランクがある。
吉野氏と尾崎の話は続く。