1987年 3月27日
常滑市に入る手前にで道巾が広く、磯も近いところに車を停めると3人は一寸した崖道を磯におりた。
磯は平坦ないわば二なっており、小さな水溜まりがいくつもあったという。
水溜りでに片足を踏み込んだ健一氏は靴下をしぼって岩場にしゃがみこんで靴下を乾かしたりしていた。
豊は1人軽やかに水溜りをとびこえて岬状に海中に突出した岩場の先端に向かって歩いていた。
時々sがやみこんで引潮のためにできたいあわばの水溜りを覗き込んでいることもあった。
健一氏の靴下が乾いた頃に豊は戻ってきた。
別に時間の制約があったわけではないのに実にゆったりした気分で健一氏はくつかの短歌をその時手帳に記した。
少年のわれ育みし知多の海傷心のあ子もここに遊びき 健一
このあと、3人は雁宿公園へはいった。
明治天皇が明治28年ここで大演習を行い、その大演習を統監した模様を漢文で刻んだ石碑があり健一氏と豊はそれを見たという。
公園の近くにある市立博物館を見物したあと、カガシヤに戻った。
夜はレストランで夕食をとり、宿泊先を訪ねてきたファンたちと豊は大いに語った。
3人の旅はもうすぐ終ろうとしていた。