matagorou’s blog 尾崎豊 自由に生きられるかそして感動を得られるか

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作詞、作曲

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1987年 3月30日

朝霞の実家に尾崎はまだいる。
知多半島から帰ってくると、作詞、作曲に大いに励んだという。

父の健一氏は以前述べた証券会社へ挨拶に出向いていた。
尾崎は特に作詞に力を入れていた。

曲はできても詩が書けないという状況がうまれ、レコーディングはあまり進展していないのが事実であったが、曲だけが出来上がっていた5曲ほどに似合う詞をこの頃から書き上げていた。

再び見たNYの風景と知多半島での旅は行き詰まっていた尾崎の創作に役立ったようであった。
尾崎はレコーディングを再開しようと思っていた。

余談ながらこの新しいアルバムは製作サイドでは発売日を決めずにいこうという尾崎の考えを組んでいたが当初は発売日を4月1日、そして次に7月1日を予定してレコーディングは再開する。

半年もあれば完成するであろうという、考えがあっても不思議ではない。
しかしこの考えは尾崎を苦しめることになっていたことは確かで振り絞るように作品を作り続ける尾崎にはやはり後年のような充電期間というものがあってもよかったのかもしれない。