1988年 3月
尾崎はコンサートを行うにも、その罪ゆえにレコーディングは再開されてもツアーが組めるかは明らかではなかった。
事務所としても稼ぎ頭であった尾崎がツアーを中断したことにより発生した違約金により大忙しであった。
尾崎のツアー中断と同時期に50本のツアーをキャンセルしたストリートスライダーズもようやく活動再開の準備がされていた頃であり、この時期マザーで長期コンサートツアーを継続していたのはハウンドドッグだけであり彼らの長き旅も終わりが見え始め次は尾崎が仕事をする番でもあった。