1988年 4月下旬
スタッフと事務所マザーとの打ち合わせも滞りなく行われて、仮録りで終わっていたレコーディングが本格的に始まった。
バックを担当するのは、ドラムの村上“ポンタ”秀一氏やベースの高水健司氏を始めセッションプレイヤーたちが集った。
これまでのレコーディングはツアーバンドのハートオブクラクションが半分を担当し、4thアルバムの製作には同バンドのバンドマスターであった樫原氏がプロデューサーとして参加していたが今回のレコードにはバンドのような音ではなくシンプルに尾崎のボーカルと音楽性を全面に押し出すことが考えられていたのではないだろうか。
後々にこの両氏はLIVE COREのステージでも尾崎と一緒にライブでセッションすることになるがこのときはまだ、その予定はなかったようである。