1988年 4月
「太陽の破片」のデモテープをスタッフとアレンジを手がける本多氏たちは
‘とても原始的であったと‘
と回想しているが、当時のスタッフであったある方は
‘あまり完成されたデモテープをもらうよりはこの方がやりやすいのかもしれない。アレンジをすすめもう少しかたちのはっきりしたテープをつくり、チェックしながらすすめていった‘
と回想している。
演奏その他のことを本多氏に一任して、尾崎の仕事は歌を歌うことに集中できたのではないだろうか。
本格的にレコーディングが始まった。