1988年 もう1本載せときます
たった1回のライブでアーティストを判断してしまうのは非常に危険だが、尾崎豊はその時期その時期の”たった1回のライブ”で常に彼自身をアピールしてきた。
初期のルイード、青年館、骨折の野音、大阪球場、ニューヨークに旅立つ前の代々木競技場、帰国してからの有明コロシアム。 おそらくツアーを中断した北陸でのコンサートも何らかの匂いを発散させていたに違いない。
それにしてもこの東京ドームは1回のライブが背負う背景が大きかった。
長いインターバルのあとにリリースされたアルバム『街路樹』を引っさげたコンサートはこの1回限りだったのだ。
だから、『街路樹』に現れていたその時点での尾崎のいくつかの側面が、このコンサートで問われ、あるいは確認される。
またそれ以上に、尾崎の鮮烈なキャリアもここに凝縮されることになる。
結果から言えばこのコンサートはそうした尾崎の資質と現在をよく表していた。
特に『街路樹』で見せた音楽的アプローチが前面に押し出せれていて、興味深かった。
バンドは『街路樹』のサウンド・プロデュースをした本多俊之が選んだミュージシャンだと思われる。
ドラムスは泉谷しげるなどのライブに参加している達人村上秀一。ベースは井上陽水のライブなどに参加している名人高水健司。
そうしたバンドが作りだす音は、安定していて、安定していて1点の曇りもない。
メロディーメーカーとして、ボーカリストとしての尾崎にスポットをあてるという、アルバム制作と同じ方向だ。
それだけに『太陽の破片』など『街路樹』に収録されている曲はサウンドと尾崎の歌が合っていて、自然な説得力に富んでいる。
特に『遠い空』はメロディのポップさが際立って、肩の力の抜けた詩とのバランスが絶妙だった。
が、一方で初期のナンバーはこの方向性によって変質していた。例えば『DRIVING ALL NIGHT』
はワイルドなR&Rとして歌われてきた。
ある意味ではサウンドのラフさがリアリティを与えてきた歌だが、曇りのない歌と音で聴くと全く違う印象になる。
中でも『十七歳の地図』は”スタンダード”のように聴こえてきた。
尾崎の持つ存在の色や影がこの歌を私小説にしていたとしたら、このライブでの歌はその重荷を下ろしていた。
自分を表現する道具として歌を歌い始めた尾崎が、音楽そのものの持つ力を信頼してみようという試みがこのコンサートの基盤になっていた。
それが彼の心境なのだろう。
それにしてもアンコールで歌った『シェリー』は素晴らしかった。
それは初めて僕がこの歌を聴いた時の輝きを失っていなかった。
尾崎と音楽の逃れようのない、真実の出逢いを、作品としてとどめていた。
尾崎は今,白紙だ。
これからの自分を歌うために、白紙だ。
ライター 平山雄一氏