1989年 12月
ロード&スカイの社長高橋信彦氏は尾崎を初めてあったときの印象をこう語っている。
「業界に対して、非常に不信感をもっているなと思いました。だから僕としては彼がこの先ひとり立ちしてもいいように、音楽業界というもののシステムや、人間とのつながりの大切さなどを身に着けていってほしいと思ったんです。
疑ってかかるよりも、まず知ることを」
と言っている。
尾崎はマザーで世話になり、その事務所でそれまでの活動アルバムを4枚だしツアーを4回すべてマザー主導のマネジメントで活動をしてきたがマザーの本質というものは派手、そしてロックというものを商業的に売ることにかけてはとても上手であったといわれる。
各バンドを型破りな売り方と大規模なコンサートツアーで収益を賄ったりとする事務所で他のロックミュージシャンを扱う事務所とは一線を画すようなところもでもあったのか大方所属しているミュージシャン、バンドのカラーがどれも違ったのもまた大きなところであったかもしれない。
マザーでの尾崎の扱いは他のHOUND DOGやThe Street Sliders、RED WARRIORSとは別格であったというほかない、休みを与えて渡米させたりと尾崎の扱いは他とは違い、若かったことからこのような扱いであったのであろうか。
しかしそれが当たり前ではなく尾崎はロード&スカイに所属しまたイチから新しい環境でやり直すという意識があったのかどうかは定かではないがやる気に満ち溢れていたことは間違いないであろう。