matagorou’s blog 尾崎豊 自由に生きられるかそして感動を得られるか

Yahoo!ブログからお引越し完了です。matagorou もしくは17isamuです。よろしくお願いします。

幕末のスパイ!? 福山藩士2人が黒船に潜入 史料発見、展示

非常に興味深い記事を発見しましたので載せます。
yahoo newsより

幕末に開国を迫った米・ペリー提督が嘉永7(1854)年春、横浜に停泊していた黒船で開いたパーティーに、2人の福山藩士が情報収集のため、身分を偽って潜入したことを示す文書が見つかった。同文書は、広島県福山市の県立歴史博物館で開催中の、福山藩主で日米和親条約を締結した老中・阿部正弘(1819~57年)をテーマにした企画展で展示されている。

 福山藩士に関する記述は、同藩の儒学者・菅自牧斎(1810~60年)の漢文集「時彦金石文集」に記載。同博物館が、子孫から寄贈された約1万点の史料を調べるなかで発見した。

 潜入した藩士は、石川和助(1807~76年)と江木繁太郎(1810~81年)。幕府の役人だけが招かれたパーティー藩士が入ることは不可能だが、このとき2人は、ペリーと直接交渉した幕府高官の家来として潜り込んだ。当時、老中が福山藩主の正弘だったため、同博物館は「正弘が何らかの形で命令しなければ、入ることはできない」と分析する。

 文書では、中にいた清国人とのやり取りについて記載。主に江木が筆談で話を聞いており、清朝打倒を掲げて起こった内乱「太平天国の乱」に、英米を含む列強各国が、どのような対応をしているかといった清国情勢や、清は外国から砲術を学んでいるのか-などについて記してある。

 江木、石川、菅の3人は、儒学者頼山陽に学んだ同門。このため、菅は江木から直接話を聞いたか、江木に近い人物を通じて一連の内容を知ったとみられる。

 同博物館は「当時は日米和親条約の締結直前で、両国関係者が比較的落ち着いていた状態。それでも、正弘が責任感を持ち、日本のため情報収集に努めていたことがわかる」としている。

 正弘の生涯をたどる企画展「阿部正弘への10の質問」は、28日まで開催しており、同文書を含む写真パネルなど約50点を展示。15日を除く毎週月曜休館。問い合わせは同博物館((電)084・931・2513)へ。