尾崎初の地方公演は京都ビブレホールというところであった。
きっかけは「ハイヤングKYOTO」というラジオ番組のDJであり、関西のイベンターも兼ねている鈴置雄三氏のラジオ番組での「観たいコンサートがあるなら、自分たちで呼べばいいじゃないか!」
とリスナーにハッパをかけたことが原因だ。
そんなことを言ったのは、84年の2月頃で、この計画を成功させるためにスタッフ募集がラジオでされ、大学生、高校生などが参加した。
いろんなアーティストの名前が挙がる中最初に呼ぼうと決まったのが尾崎豊であった、この「ハイヤングKYOTO」ではよく尾崎の曲も流れていた事実も起因しているであろう。
学生達のサークル、「ヘッド・ライト・クラブ」が自分たちで主催したライブでその辺のことは尾崎を長年取材し記事を書かれている、落合昇平さんの「未成年のまんまで」という作品にこの件が書かれている
しかし集まったスタッフたちは素人、そこで手作りコンサートを行っていく、チケットの作成、喫茶店などに頭を下げてポスターを掲示してもらうよう頼むやつもいれば、尾崎のことを学校の校内放送で告知してしまうやつまで幅広く現れた。
尾崎と一行は初の地方公演に臨む。
新幹線で京都駅で降りたメンバーは「おめん」といううどんを食べて、ビブレホールでコンサートを行う。