matagorou’s blog 尾崎豊 自由に生きられるかそして感動を得られるか

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名古屋ハートランド

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1984年6月23日 名古屋ハートランドスタジオ公演。

まあ何度か書いてるのだけどこいつは母親が初めていった尾崎のライブでたぶん初だったし最前列で見たらしいから印象に残ってたんだろう生前よく尾崎の話をするとこの話になった。

なのでその体験の話を覚えている範囲で書いてみる。
そもそも話はまだ売れてない人をを手当たり次第見に行くっていう母親とその周りの友達3人くらいの趣味が偶然にも尾崎のこのアートランドスタジオ公演に繋がっていったらしい。

たまたま十七歳の地図をカセットテープで事前に友達一緒に聞いておいたらしく事前の尾崎の曲の知識としてもあったようだ。
この時の尾崎のチケットが確か2000円だったと聞いている。余談だがそれ以降の尾崎のコンサートチケットも2500円だったり3000円だったりと大きく変動はしなかったようで。更に余談になるがバースのになると4500円くらいだったらしい。

さて金の話はまだ続くがこの時代のコンサートチケット代ってのは今考えると安い、母曰くレコード買うよか本物見にいったほうが安かったってのもあるらしい。

んでもってここからは当日の流れの話になるんだがまた余談だがハートランド名古屋市伏見駅付近地名でいうと栄にあって地下1階にあるんだがかなりの超満員だったらしく尾崎死後に出された父健一氏の著書によると定員200人のとこ300人もきて大盛況だったようだ。また尾崎の親戚は半田市で喫茶店やってる方、枇杷島にいる母親の親戚もきたようで親族揃って尾崎のステージを見たらしい。 300人ってのは尾崎がこの夜父健一氏に電話で伝えた人数だそうで珍しく尾崎から実家の方へ電話したらしい。

で、話が反れてしまったがスタジオ外でおかんが並んでる時にたぶん尾崎っぽい人サングラスかけた兄ちゃんが並んでる行列の隣を通り過ぎて茶髪のお兄さん(当時のマネージャーのキヨシ氏?)ともう一人の男の人と一緒にスタジオにはいってくとこを目撃したりしてまあそれがひとつの思い出らしい。

ステージではまあ度肝を抜かれたらしいwあまり詳しいことは覚えていなかったようだけど母親はたった2歳年上のお兄さんにやたらと説教されたとか言ってたけどそんな印象のMCだったらしいそして当時まだ発表されていなかった「ダンスホール」が印象に残ったらしくTシャツ1枚でギターをかき鳴らす姿が何よりよかったとダンスホールというのはおかんにとって一種の青春か思い出であったろう。
もうひとつは終生おかんは音楽というものを愛した妹にはピアノをやらせてベースをやらせて、俺は途中でピアノをやめたというか座ってるのができない子供で落ち着いていなかったしなw

さてさてそんな事は置いておいて時間としては2時間半、3時間くらいのライブであったらしい。
そこの物販で買ったのが以前紹介したでかい十七歳の地図のパネルだったわけさ。

ここでもう一つ余談なんだがハートランドスタジオには喫茶店のようなバーがある、そこで尾崎はライブが終わったあとTシャツ1枚でコーヒー飲んで笑顔で休憩してたらしいというかその姿をおかんは見たらしい。

説教くさいことをステージでは言ってたけどただまぎれもないことは18歳の誠実で優しい青年である姿を最後にこの時見れたような気がしたらしい。


と長くなりました、すんません。 最後まで読んでくれた方ありがとう。