1984年6月26日 広島ウッディストリート
バナナホールのライブが終了した後、すぐに車で5時間かけ次のライブ地、広島に向かった。
この時に尾崎が宿泊したホテルは広島東急インであったとのこと。
広島公演、このライブで尾崎は声が出なくなってしまい
振り絞るように声を出すがその声をマイクは拾ってはくれなかった」
「ならもうマイクなんていらねえや!」
そう言ってマイクを叩きつけた尾崎は客席へ飛び込んで、地声で叫び続けた。
ギターを破壊するアクシデントも起こった。
ライブハウスツアーはハイエース2台で全国を回るツアーで後の移動は電車になるものとはまた違う、しかし尾崎とまた出会ったばかりのバンドメンバーとの共同区間を車内というものに制限することにおいて、互いに知ることもあるような意図があったのではないかと推測する。
疲労連日のライブが尾崎を苦しめているのは明白であるが、まだツアーは続く。
尾崎はこのツアーの最終地点福岡へと向かう。