matagorou’s blog 尾崎豊 自由に生きられるかそして感動を得られるか

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岡山市民文化ホール

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1984年12月11日 岡山市民文化ホール
迎えたこの岡山公演でもあることが起こった。
彼はこの公演の途中愛の消えた街を歌ったところで終了してしまった。

ライブの行程でいけば2/3というところであろうか。
少し話は脇道にはいるがこのツアーの愛の消えた街のMCにたこやきの話というものがある。
日本青年館では十七歳の地図のMCとして似たようなやつを喋っているのだが少し違う。

念のために記載しておく。
「俺たちが夜の街をふらついているとときに俺はふとあることを目にしたんだ。中年のおっさんがタコ焼きを淋しそうに食ってたんだ。その時俺はそれを見てすごく悲しくなったんだ」

このMCで尾崎は会場にウケを狙っていたのだがツアーの最初では笑わせようと考えてはいなかったのだがそれをやっていくうちに
みんな笑うように尾崎曰く「笑うのが普通なんだろうな」と思ってしまったと彼は考えた。

しかし「岡山では誰も笑わなかった。」

それだけの理由は途中で舞台を降りたわけではないという尾崎であるが
しかし尾崎は
 
「自分はやりたいようにやればいいハズだって思ってやってきたなかで、やっぱりスタッフの人たちの意見も出てくるわけで、お前こういうふうにやったほうがいいよ、ってすると自分はどうするのがホントは正しいのかって。ボクは誰のために歌おうとしてるんだろうって思ったんですね。
やってる中できっと笑ったり拍手したり完成をとばしてくれたりして。きっとボクの心を救ってくれるだろうって思ったわけ。、だけど岡山のMCの反応がなかった。ということでボクは裏切られたんじゃないけど自分自身でもう何がなんだかわからなくなって、それでもう歌えなくなってしまったというか....」

彼は最終的に自分がやらなくてはいけない見せなくてはいけないものを新たに感じたという。

「あがきみたいなものを見せればいいんじゃないかって」


と彼にとってやはりこの時期にも悩みはあり、答えを導き出していない。