matagorou’s blog 尾崎豊 自由に生きられるかそして感動を得られるか

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沖縄労働福祉会館

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1985年5月19日 沖縄労働福祉会館
 
沖縄に尾崎は来た。
この回帰線ツアーでは前回のツアーでは行っていない地域によく赴いている。
全国を津々浦々と訪ねたツアーの中でも東西を問わず尾崎はステージに立った。
 
沖縄公演は尾崎にとっても初であった。
1日の休暇において海岸でHOKのメンバーと1日を過ごした話をも残っているくらいである。
 
尾崎は「ドーナツショップ」でこんな言葉を残した。
 
「ちょうど僕がまだ16だった頃、僕は学校の近くの店でアルバイトをしていた。
6時間働くうちの30分だけ休みをもらって、僕はその30分を通じていつも同じことを考えていたのかもしれない
というのも狭苦しい、店の中にいるのが嫌で、いつも店の外の出て街をふらついていた。
 
僕の格好はとっても汚くて、誰もが着飾っている綺麗な街の中では自分自身がとってもみすぼらしくみえた・・・ そこでしばらく歩いて、僕は裏の奥の坂の途中のガードレールの脇にこしかけていた。
 
通り過ぎていく人たちやみんなは自分のこと以外、興味がなさそうな・・・・そんな中で誰かと何かを分かり合おうとか自分の気持ちを伝えたいと思う自分が余計に惨めに思えたんだ・・
 
だけどそんな僕にも小さな感動があったんだ。ちょうど、僕の腰を下ろしているところから、ビルとビルの合間にとっても綺麗な夕日が沈んでいくのが見えたんだ・・・・」
 
尾崎は沖縄という初めて訪れた街に思いを寄せた言葉を残している。
 
尾崎曰く
「初めての街だったんで、僕も、歌いだすまではけっこういろんなことを思いながら歌ったのだけど
やっぱり初めての街にくる・・・・こう・・・・といろんな事を思い出すんですね。
 
やっぱり、例えばルイードの頃とかね、僕の初めてのライブをやったときのこととか、僕の場合歌い始めた頃とか
はお客さんと一緒に楽しもうというコンサートじゃないと思ったんで今でもそれは楽しむだけのコンサートにはしたくないと思ってるし
 
僕もコンサートの最中にしゃべったことなんだけど、やっぱり自分を救うのはその人自身でしかないっていう、そうゆう気持ちが伝わって、そしてその人が聴いてくれた人がじゃあ、自分でも何かできるんじゃないかって、そこでああやって苦しんでいく・・・まあ僕の表現したいのが苦しみであったり、悩みであったり、怒りであったり、
 
そうゆう感情の極限というものを表現したくて、そういったものを見て誰もが同じように悩んでいるんだって気づいたときに
 
その中から自分も這い上がろうとする気持ちを伝えたいっていうか、そんな願いがありますね。やっぱりツアーを行ったりとか、名前が知れてきたりとかすると、段々段々何がなくてもお互いにコミュニケーションができていっちゃうような状態になったり、していく場合があるんですね、
 
またそれによって自分も変わっていかなくちゃならないのだろうけど、ただ今日は初めてのお客さん、初めての人の前で歌うってことで、あの頃のその、思っていた頃ことを自分また、もちろん同じじゃなかったんですけど、もっともっと、自分なりにこう・・・完成しつつある段階のものだと思うのだけども、なんか自分の気持ちの中でも葛藤があって自分の中でもエキサイティングできたコンサートでした。」
 
と残している。