どこから書くべきかということでまだ迷っている筆者がいる。
彼は時代に作り上げられたのか、時代が求めたのか?使命でも果たしたように大急ぎで去った。
何が真実で虚構であるかなどは別として彼が生きていたというのが紛れもない事実であるので、記していきたいと思う。
寒い日であったといいう。
「豊」という名前は父健一氏の故郷である、飛騨・高山の実業学校(旧制中学)の恩師から貰った名前で富田豊先生という、農業関係や英語を健一氏は戦時中に教わったという。
人格的にこの先生を尊敬し、是非「豊」の文字を遣わせていただきたいと、生まれた際に手紙を書いている。
生まれたときから人は老いていきやがて枯れて死んでしまうのだろうという閉鎖的な考えがあるかもしれないがその人の死や最後なんて誰もが想像できるものではなく、尾崎に限って言えばもう、この世にはいない、
しかしそんな残された断片の一つ、ひとつをパズルピースのように丹念に集めていけば自分の考えと思いを集めた。ひとつの答えを導き出せるんじゃないかって思うんだ。