matagorou’s blog 尾崎豊 自由に生きられるかそして感動を得られるか

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大阪球場へのこと

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1985年7月25日 六本木
大阪球場ライブまで残り1ヶ月という日以前の福岡でのコンサートを終えた尾崎は帰京しツアーは29日の金沢まで少し中休みにはいっていた。
大阪球場ライブのリハーサルと3枚目のアルバムの打ち合わせを兼ねてた1日の夜六本木の中華料理屋で取材をうけていた。
 
そんな尾崎は場数こそ、このツアーでも既に20本近いコンサートをこなしてきたが万単位の観衆の前で歌った経験はまだない。
しかし尾崎はインタビュアーの質問
 
「万単位の観衆を前に歌うことを空想したことあった?」
 
尾崎は
「うんあったよ」
尾崎は続ける
 
「初めてのライブのときね、大観衆の前で歌う自分を想像したんだ」
 
これは84年2月、千葉のマザースでの時のことを指すようだが、この初ライブの客は以前書いたが7人だった、尾崎出演の立場もアマチュアバンドの前座という形であった。
 
何度も書いてきているがこの時尾崎は少なく見積もっても2万人のキャパシティを誇る大阪球場に尾崎は挑もうとしている。
 
尾崎はマザースで大観衆を前に歌うことを夢みていたようであるが、その夢に立ち向かうためか、尾崎にはどうだか翼が生えたようにそこまで急速に辿りつこうとしている。
残すところ長かった熱帯区も彼に終わりを見せようとしている。
 
そんな7月の終わり頃であった。